1732年(0歳) |
3月31日、オーストリア東部ローラウに誕生。 |
1740年(8歳) |
ウィーンのシュテファン大聖堂の合唱団、聖歌隊に入る。 |
1749年(17歳) |
聖歌隊解雇される。以後8年間はピアノ教師、臨時のオルガニスト、ヴァイオリニストなど務めて生計を立てる。 |
1755年(25歳) |
フェールンベルク男爵家の室内楽奏者となる。 |
1759年(27歳) |
ボヘミアのモルツィン伯爵家の楽長に就任。 |
1760年(28歳) |
マリーア・アンナ・ケラーとウィーンで結婚。 |
1761年(29歳) |
エステルハージ侯爵家の副楽長に就任。 |
1766年(34歳) |
前任の楽長の死去にともない楽長に昇進。楽団強化される。 |
1777年(45歳) |
オペラ「月の世界」初演。 |
1781年(49歳) |
「ロシア四重奏曲」作曲。 |
1785年(53歳) |
モーツァルトから「ハイドン四重奏曲」の献呈をうける。 |
1786年(54歳) |
パリの出版社から6つの交響曲の作曲を依頼される。
「交響曲82~87番(パリ交響曲集)」作曲。 |
1790年(58歳) |
エステルハージ侯爵死去。楽団縮小のため、楽長の肩書きはそのままウィーンに転居。 |
1791年(59歳) |
ロンドンでザロモン演奏会に出演。大成功を収める。
オックスフォード大学から名誉音楽博士号を授与される。
「交響曲第93~96番」作曲。 |
1793年(61歳) |
翌年にかけて「交響曲第99~101番」作曲。 |
1795年(63歳) |
2度目のロンドン訪問、オペラコンサート開催。
「交響曲第102~104番」作曲。 |
1796年(64歳) |
エステルハージ侯爵家から楽団再建の依頼を受け、楽長職に復帰。 |
1797年(65歳) |
「エルデーディ四重奏曲」作曲。その中には弦楽四重奏曲「皇帝」も含まれる(現ドイツ国歌)。 |
1798年(66歳) |
オラトリオ「天地創造」作曲。 |
1800年(68歳) |
妻マリーア・アンナ死去。 |
1801年(69歳) |
最初の遺言書を作成。オラトリオ「四季」初演、「天地創造」公開初演。 |
1804年(72歳) |
エステルハージ侯爵家の楽長を辞す。 |
1809年(77歳) |
第二回遺言書を作成。5月31日死去。 |