1685年(0歳) |
3月21日、ドイツのアイゼナハにて誕生。 |
1693年(8歳) |
アイゼナハのラテン語学校入学。 |
1694年(9歳) |
母エリザベート死去。 |
1695年(10歳) |
父ヨハン・アンブロジウス死去。長兄に引き取られる。 |
1700年(15歳) |
リューネブルクの聖歌隊員になる。 |
1702年(17歳) |
ハンブルク訪問、ツェレの宮廷楽団で働く。 |
1703年(18歳) |
アルンシュタットの新教会オルガニストになる。 |
1705年(20歳) |
1ヶ月休暇でリューベックへ旅行。 |
1706年(21歳) |
3ヶ月後にリューベックから戻る。ミュールハウゼンのブラージウス教会オルガニストに採用される。 |
1707年(22歳) |
マリーア・バルバラと結婚。 |
1708年(23歳) |
宮廷オルガニスト兼宮廷楽師に就任。 |
1710年(25歳) |
長男ヴィルヘルム・フリーデマン誕生。 |
1713年(28歳) |
ハレの聖母教会オルガニスト(ツァッホウの後任)に志願するが採用されず。 |
1714年(29歳) |
ワイマール宮廷楽団楽師長に就任 毎月新作カンタータの演奏の義務を負う。 |
1717年(32歳) |
ケーテンの宮廷楽長に就任。
「無伴奏チェロ組曲」、「管弦楽組曲第3番(G線上のアリア含む)」を
ケーテン時代の1717〜1723年に作曲。 |
1719年(34歳) |
ヘンデルがハレに帰っていると聞きつけ、会いにいくもすれ違う。
この頃に「幻想曲とフーガ(大フーガ)」作曲。 |
1720年(35歳) |
妻マリーア死去。 |
1721年(36歳) |
ケーテン宮廷歌手アンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚。
ブランデンブルク辺境伯ルードヴィヒに「ブランデンプルク協奏曲」を献呈。 |
1722年(37歳) |
「平均律クラヴィーア曲集第1巻」1722か23年完成。 |
1723年(38歳) |
ライプツィヒのトーマス教会の音楽監督に就任。 |
1724年(39歳) |
「ヨハネ受難曲」初演。 |
1727年(42歳) |
「マタイ受難曲」初演。 |
1733年(48歳) |
ドレスデンのザクセン選帝侯に「ミサ曲ロ短調」献呈。 |
1735年(50歳) |
「クリスマス・オラトリオ」初演。 |
1742年(57歳) |
「クラヴィーア練習曲集第4巻」(ゴールトベルク変奏曲)出版。 |
1746年(61歳) |
ヴィルヘルム・フリーデマン、ハレの聖母教会オルガニストに就任。 |
1747年(62歳) |
フリードリヒ大王に「音楽の捧げもの」を献呈。 |
1749年(64歳) |
「フーガの技法」1740〜1749に作曲。未完成に終わるが死後に出版される。 |
1750年(65歳) |
2回にわたるの白内障手術が失敗におわり体調を崩し、7月28日死去。 |