いろはにクラシック

シューマンの生涯



ロベルト・シューマン(ドイツ)
Robert Alexander Schumann (1810〜1856)

ピアニストとして活躍したクララ
前期ロマン派の代表的な作曲家。
ドイツ東部のザクセン地方、ツヴィッカウという小さな町に生まれた。父は本屋で出版業者でもあり、幼いころから文学や音楽に親しみ、才能を現し始めました。
母の希望で法学を学んだが20歳でピアニストを目指します。ピアノ教師フリードリヒ・ヴィークに弟子入りしますが、過度のピアノ練習のため指をいためて断念し、作曲の道に進みました。
そのピアノ教師ヴィークの娘、ピアニストのクララとは恋仲になり、幾多の試練を乗り越えて結婚することになります。
また音楽評論家としても活動していき、ショパン、ブラームスらを紹介しました。
作品は多数のピアノ曲、歌曲に繊細で美しく劇的な作品のほか、交響曲、協奏曲、室内楽に名曲を残しました。

 シューマン年譜
1810年(0歳) 6月8日、ドイツのツヴィッカウにて誕生。
1816年(6歳) 最初のピアノレッスンを受ける。
1820年(10歳) ギムナジウムに入学。
1822年(12歳) 最初の作品を試みる。
1826年(16歳) 父アウグスト死去。
1828年(18歳) ライプツィヒ大学に入学。ヴィークにピアノを習い始め、クララに出会う。
1829年(19歳) ハイデルベルク大学に入学。
1830年(20歳) ヴィークの内弟子となる。
1831年(21歳) ハインリッヒ・ドルンに作曲を師事。
1832年(22歳) 右手の指が麻痺。ピアニストの道を断念。
1834年(24歳) 翌年にかけて全21曲のピアノ曲「謝肉祭」作曲。
音楽評論家としても活動をはじめる。
1836年(26歳) 母ヨハンナ死去。師ヴィークから絶縁状。娘クララと交際禁止。
1837年(27歳) 翌年にかけて全8曲のピアノ曲集「幻想小曲集」作曲。
1838年(28歳) 全8曲のピアノ曲集「クライスレリアーナ」作曲。ピアノ曲「子供の情景」作曲。
1840年(30歳) ヴィークとの法廷闘争に勝訴。クララと結婚。
歌曲「リーダークライス」、「詩人の恋」、「女の愛と生涯」作曲。歌曲の年。
1841年(31歳) 「交響曲第1番《春》」初演。「交響曲第4番」初稿。交響曲の年。
1842年(32歳) 「ピアノ五重奏曲」作曲。
1843年(33歳) ライプツィヒ音楽院教授に就任。
1845年(35歳) 「ピアノ協奏曲」完成。翌年、クララをピアノ独奏者にライプツィヒで初演され、成功を収める。
1846年(36歳) 「交響曲第2番」初演。
1850年(40歳) デュッセルドルフ市音楽監督に就任。「交響曲第3番《ライン》」作曲。
1851年(41歳) 「交響曲第4番」改正。
1853年(43歳) ブラームスと知り合い、雑誌「新音楽時報」に紹介し賞賛。
1854年(44歳) ライン川に身を投げて自殺未遂。ボンの精神病院に入院。
1856年(46歳) クララと最後の面会となった日の2日後、7月29日、死去。





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