いろはにクラシック

メンデルスゾーンの生涯



フェリックス・メンデルスゾーン(ドイツ)
Felix Mendelssohn Bartholdy (1809〜1847)

作曲家・ピアニストの姉ファニー
前期ロマン派の主要音楽家で、バッハ作品を19世紀に復活させた。
ドイツのハンブルクで富裕な銀行家の家庭に生まれ、幼きころよりレッスンを受けて姉ファニーと共に豊かな才能を発揮した。10代の頃よりすでに完成度の高い曲を作曲し一人前と認められるようになった。20歳の時に、忘れ去られていたバッハの「マタイ受難曲」を指揮して世に紹介しました。
その後はピアニスト、指揮者として精力的にヨーロッパじゅうに足をはこび、名声を得た。デュッセルドルフ市の音楽監督、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任。ベルリン芸術アカデミーの音楽部門
の主任などを歴任し、また、ライプツィヒ音楽院を創設しました。
作風は初期ロマン派の中では古典派に近く、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲などあらゆるジャンルに名曲を残しました。また、指揮者としても知られ、現在にまで至る指揮法を確立した創始者であるとされます。

 メンデルスゾーン年譜
1809年(0歳) 2月3日、ドイツのハンブルクに生まれる。
1815年(6歳) 母からピアノを学ぶ。
1817年(8歳) ベルリン・ジングアカデミー指揮者ツェルターから作曲を学ぶ。
1818年(12歳) 文豪ゲーテを訪問。
1822年(13歳) 「ピアノ四重奏曲第1番」作曲
1824年(15歳) バッハの「マタイ受難曲」のスコアを祖母からプレゼントされる。
1825年(16歳) 「弦楽八重奏曲」、序曲「夏の夜の夢」を作曲。 
1828年(19歳) ベルリン大学入学。
1829年(20歳)  自ら監督を務め「マタイ受難曲」がジングアカデミーにより演奏される。イギリス訪問。フィルハーモニー協会で演奏会。
1830年(21歳) ヨーロッパ各地を巡る。「交響曲第5番《宗教改革》」作曲。
1833年(24歳) デュッセルドルフ市音楽監督に就任。
1835年(26歳) ライプツィヒでケヴァントハウス管弦楽団指揮者となる。
父アブラハム死去。
1836年(27歳) オラトリオ「聖パウロ」初演。
1837年(28歳) セシル・ジャンルノーと結婚。
1839年(30歳) シューベルトの「交響曲第9番《グレイト》」初演。
1841年(32歳) ベルリンの芸術アカデミーの音楽部門長に就任。
1842年(33歳) 「交響曲第3番《スコットランド》」完成。
「交響曲第4番《イタリア》」初演。
1843年(34歳) ライプツィヒ音楽院を開校し、院長となる。
1844年(35歳) 劇付随音楽「夏の夜の夢」上演。
1845年(36歳) 「ヴァイオリン協奏曲」初演。
1846年(37歳) 指揮と作曲に専念。オラトリオ「エリア」完成。
1847年(38歳) 5月、姉ファニー死去。10回目のイギリス訪問後、卒中の発作で倒れ、11月4日死去。





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