いろはにクラシック

シューベルトの生涯



フランツ・ペーター・シューベルト(オーストリア)

Franz Peter Schubert (1797〜1728)
シューベルティアーデ
ロマン派初期を代表するオーストリアの作曲家。600余りの歌曲を作曲し「歌曲王」と呼ばれる。
ウィーン近郊リヒテンタールに生まれた。父は学校教員であったため、彼を教師にするために音楽も学ばせたが父や兄の手に負えないほど才能を発揮しはじめ、聖歌隊指揮者ホルツァーに教育を託される。宮廷楽長のサリエリにも個人授業を許可され才能をのばしていきました。
やがて、歌曲やオペラで成功を収めますが、出版社にはなかなか認められずに苦労します。しかしシューベルティアーデと呼ばれる彼を支えるサークルの協力も得て自立した音楽家としての道を歩み始めました。
1828年には初の自主演奏会を開き大成功を収めますが、その年の11月、腸チフスにより生涯を閉じます。31歳と早世ながら交響曲、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲など様々な分野にわたって作品を残しました。

 シューベルト年譜
1797年(0歳) 1月30日、ウィーンにて誕生。
1803年(6歳) 父にヴァイオリン、長兄にピアノを習う。
1805年(8歳) リヒテンタール教会の聖歌隊指揮者ホルツァーから歌唱法、
オルガン、音楽理論など学ぶ。
1808年(11歳) コンヴィクトに入学。学内オーケストラの第2ヴァイオリン奏者と
なる。のちに親友となるシュバウンと出会う。
1810年(13歳) 楽譜が残っている最初の曲「ピアノ4連弾のための幻想曲」作曲。
1812年(15歳) 母エリザベート死去。サリエリに師事。
1813年(16歳) コンヴィクト退学。「交響曲第1番」作曲。
1814年(17歳) 父親の学校の補助教員となる(3年間)。
1815年(18歳) 「交響曲第3番」「野ばら」「魔王」など相次いで作曲。
1816年(19歳) 「交響曲第4番《悲劇的》」「交響曲第5番」や「さすらいの人」
を含む多くの歌曲を作曲。
1818年(21歳) 「イタリア風序曲」ローマ皇帝館で公開演奏をする。
1819年(22歳) 「ピアノ五重奏曲《ます》」作曲。
1822年(25歳) ウェーバー、ベートーヴェンと知り合う。
「交響曲第8番《未完成》」作曲開始。
1823年(26歳) 全20曲の歌曲集「美しき水車小屋の娘」作曲。健康状態悪化。
1824年(27歳) 健康状態かなり回復。
「弦楽四重奏曲第13番《ロザムンテ》、第14番《死と乙女》」作曲。
1825年(28歳) 歌曲「アヴェ・マリア」作曲。シューベルティアーデが開催される。
1826年(29歳) シューベルティアーデが盛んに行われる。
1827年(30歳) 死の床のベートーヴェンを訪問。葬儀に参列。ウィーンの楽友協会から会員に推薦される。
歌曲集「冬の旅」、「ピアノ三重奏曲1番、2番」作曲。
1828年(31歳) 「交響曲第9番《グレイト》」完成。
「ピアノソナタ21番」作曲。
10月、目まいと疲労に襲われ、病状が悪化。11月19日、死去。





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