1797年(0歳) |
1月30日、ウィーンにて誕生。 |
1803年(6歳) |
父にヴァイオリン、長兄にピアノを習う。 |
1805年(8歳) |
リヒテンタール教会の聖歌隊指揮者ホルツァーから歌唱法、
オルガン、音楽理論など学ぶ。 |
1808年(11歳) |
コンヴィクトに入学。学内オーケストラの第2ヴァイオリン奏者と
なる。のちに親友となるシュバウンと出会う。 |
1810年(13歳) |
楽譜が残っている最初の曲「ピアノ4連弾のための幻想曲」作曲。 |
1812年(15歳) |
母エリザベート死去。サリエリに師事。 |
1813年(16歳) |
コンヴィクト退学。「交響曲第1番」作曲。 |
1814年(17歳) |
父親の学校の補助教員となる(3年間)。 |
1815年(18歳) |
「交響曲第3番」「野ばら」「魔王」など相次いで作曲。 |
1816年(19歳) |
「交響曲第4番《悲劇的》」「交響曲第5番」や「さすらいの人」
を含む多くの歌曲を作曲。 |
1818年(21歳) |
「イタリア風序曲」ローマ皇帝館で公開演奏をする。 |
1819年(22歳) |
「ピアノ五重奏曲《ます》」作曲。 |
1822年(25歳) |
ウェーバー、ベートーヴェンと知り合う。
「交響曲第8番《未完成》」作曲開始。 |
1823年(26歳) |
全20曲の歌曲集「美しき水車小屋の娘」作曲。健康状態悪化。 |
1824年(27歳) |
健康状態かなり回復。
「弦楽四重奏曲第13番《ロザムンテ》、第14番《死と乙女》」作曲。 |
1825年(28歳) |
歌曲「アヴェ・マリア」作曲。シューベルティアーデが開催される。 |
1826年(29歳) |
シューベルティアーデが盛んに行われる。 |
1827年(30歳) |
死の床のベートーヴェンを訪問。葬儀に参列。ウィーンの楽友協会から会員に推薦される。
歌曲集「冬の旅」、「ピアノ三重奏曲1番、2番」作曲。 |
1828年(31歳) |
「交響曲第9番《グレイト》」完成。
「ピアノソナタ21番」作曲。
10月、目まいと疲労に襲われ、病状が悪化。11月19日、死去。 |