いろはにクラシック

ヴィヴァルディの生涯



アントニオ・ヴィヴァルディ(イタリア)
Antonio Vivaldi(1678〜1741)

サン・マルコ寺院(ヴェネツィア) 1720年頃
イタリア・バロックを代表する作曲家。
イタリア北東部のヴェネツィア生まれ。ヴァイオリン奏者及び理髪師であった父から音楽の手ほどきを受ける。
社会的地位を得るために15歳で剃髪して聖職に入り、25歳で司祭になり、髪が赤毛であったため「赤毛の司祭」と呼ばれました。
ピエタ慈善院付属音楽院のヴァイオリン教師を務めながら作曲を続けていきます。その後、オペラや協奏曲で成功を収めて、その名は各国に知られるほど名声を得ていきますが、ピエタ音楽院を辞した後はヴェネツィアから姿を消し、ウィーンにある貧民墓地に埋葬されていたのが判明したのは
約200年経った後のことでした。
ヴィヴァルディは500以上の協奏曲を残し自身がヴァイオリンの名手であったためか、7割以上が弦楽の協奏曲を書いています。その他にソナタ、室内楽、オペラ、オラトリオ、宗教音楽など多岐に渡り、数多くの作品を残しました。

 ヴィヴァルディ年譜
1678年(0歳) 3月4日、ヴェネツィア共和国に生まれる。
1688年(10歳) サン・ジェミニアーノ教会付属の学校に入学。
1693年(15歳) 聖職に入るために剃髪を受ける。
1703年(25歳) 司祭に任命される。ピエタ音楽院でヴァイオリン教師に就任。
1705年(27歳) 「トリオソナタ集」出版。
1708年(30歳) ピエタでデンマーク国王を迎えての演奏会を行う。
1709年(31歳) 「ヴァイオリンと低音のためのソナタ集」出版し、デンマーク国王に献呈。
1711年(33歳) 全12曲の協奏曲集「調和の霊感」出版。
1713年(35歳) 最初のオペラ「離宮のオットー大帝」ヴェチェンツァで初演。
1714年(36歳) ヴェネツィアのサン・タンジェロ劇場の興行師となる。
1716年(38歳) ピエタの「協奏曲長」というポストに就く。
オラトリオ「勝利のユディータ」初演。
1718年(40歳) マントヴァでヘッセン=ダルムシュタット方伯の宮廷楽長となる。
1723年(45歳) オペラ「テルモドンテに向かうヘラクレス」ローマで初演。
1725年(47歳) ルイ15世の結婚を祝うセレナータ「栄光と結婚」作曲。
全12曲の協奏曲集(「四季」を含む)「和声と創意の試み」出版。
1727年(49歳) 神聖ローマ皇帝カール6世に拝謁。オペラ「怒れるオルランド」初演。
1729年(51歳) ウィーンをはじめヨーロッパ各地に長期にわたる旅行に出発。
「フルート協奏曲集」出版。
1734年(56歳) オペラ「オリンピアーデ」ヴェネツィアで初演。
1735年(57歳) ピエタの教師職に復職。
1737年(59歳) フェラーラのルッフォ枢機卿から、聖職にふさわしくない生活をしていると言う理由から教皇領フェラーラへの立ち入りを禁止される。
1738年(60歳) アムステルダムで劇場100年を祝う演奏会を行う。
1740年(62歳) ピエタでザクゼン選帝侯のフリードリヒ・クリスティアン公爵を迎えて演奏会を行う。
秋に旅立つ。オーストリア南部のグラーツを経てウィーンへ
1741年(63歳) 7月28日、ウィーンで死去。貧民墓地に埋葬される。




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